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押上小学校

20081031150241
画像は今年のバイクツアーで10歳まで暮らしていた栃木県氏家町(現さくら市)の押上を流れる鬼怒川土手と相棒“銀次郎”

10日振りにジムで汗流した。

気持ちイイ!

夕べ、廃校になる小学校の特集をテレビで放送していた。

俺が通っていた小学校も無くなっているのだ。

と言うより合併移転している。

俺が親と離れ、親父方の実家で爺さん婆さんと暮らしていた頃に通っていた小学校。

栃木県氏家町立“押上小学校”

氏家は現さくら市になる。

当時は木造の平屋で、築100年を超えていた。

山を切り崩して建てられた、丘の上にある小学校。

20年前にバイクで訪れたとき、更地になって記念碑だけが建っていたのを見て愕然とした。

少し離れた所に真新しいモダンな小学校が新設されていたが。

俺が居た頃は、とにかく古く、床のアチコチがシロアリにやられて抜けていた。

だが、子供ながらに風情があるな、と思っていた。

校庭には立派な松ノ木が生え、季節ごとに記憶深く根付くような風が校舎に舞い込んでくる…そんな学校だった。

夏休みは朝から夕方まで学校のプールで遊んだ。

足の指がフヤけて肉が剥き出しになるまで泳いだ。

学校にいる時はまだイイ。

学校から帰る道すがら、陽が沈み始めると寂しさがこみ上げてきてダメになる。

誰も居ない校庭で、陽が暮れるまでボール遊びをしていた。

そのボールを蹴りながら、刈り取った田んぼを走って帰る。

幾つもボールを持ち帰るものだから、学校から怒られる。

何かをしてないと、気が狂いそうだったのだ。

秋も深まると生い茂っていた木々の葉が落ち、その隙間から小高い丘の上にある夕陽に染まった学校が見えた。

それを振り返りながら、トボトボと爺さん婆さんの所へ帰るのだった。
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“禅菜”

20081030152622
寒くなってきたね。

冬間近と言うことで“冬瓜(とうがん)”です。

我々が扱っている野菜たち、これは和気優がバイクツアーで巡り会った農園の優れた野菜たちです。

毎日のように朝摘みされた新鮮な野菜が、全国からココ下北沢へ運ばれてくるのでアール。

無論、有機無農薬。
その野菜たちを我々は称して“禅菜(ぜんさい)”と呼んでいるわけです。

見たら一目瞭然。

作り手の情熱と丹念さがノリ写った“禅菜”には、存在力がありエネルギーが満ちています。

且つ、味も風味も濃厚にして香り立つ。
調理するのがモッタイないくらい旨味が支配してます。

その辺で売られている水っぽい野菜と比較すれば、その差は歴然。

強くしなやかで美しい。

あーあ、俺に最も足りません。

だから“禅菜”食います。

自ら、食いまくります。

“禅菜”のようになるには時間かかると思うけどね。

“ジネンジョ”みたいに長く永く、粘り強く生き抜きまっせ。

土塊の魂。

20081029191011
沖縄で旅を伴にした“マロ(我が店の常連)”から、爺ちゃんの墓標がある糸満の平和祈念公園にあるコンピューターより出力された墓標刻銘簿を頂いた。

平和祈念公園とは、沖縄戦で戦死した人々の名前が墓標に刻銘されている場所である。

3年前に俺は訪れている。

以前は県ごとに分離されていた墓標を、近年ひとつに祈念した。

※刻銘されていない例外もある(その理由は各々調べて欲しい)

沖縄で戦死した爺ちゃんの墓標を“マロ”たちが手を合わせに行ってくれたのだ。

ありがたい。

しかし、刻銘簿の写真をジックリ見てほしい。

“和気政勝”
爺ちゃんの名だ。

住所は栃木県。

あとは死亡年月日も死亡場所も記載されていない。

追記にて“各都道府県からは氏名のみのデータ提供のため…”

と記されてはいるが実際、爺さんが沖縄のどこでいつ死んだのか、判っていない。

これを見るたび、悔しさと無念さが滲んでくる。

爺ちゃんが死ぬとき見上げたのは蒼い空か?それとも星か?
あるいは、無惨にも撃たれ横たわり泥の大地か?

俺は知りたい!

どんな思いだった?

まだ赤ん坊だったろう親父が気懸かりだっただろう。

この一枚の紙切れに記されているのは名前だけだ…

もう、何かを俺に教えてくれる人もいない。

しかし、その血が脈打つ俺の鼓動をおさめる事は出来ない!

沖縄の土塊となった爺ちゃんよ。

あの世で親父と再会したか!?

俺は生きてるぜ。

魂となり…

島へ行こう!

20081028131215
沖縄も東京も同じ空の下…

すっかり秋でした。

島巡りな旅だったねぇ。

まずは“沖縄本島”から慶良間諸島の“阿嘉島”と“慶留間島(げるましま)”
次に神の島“久高島”
さらに八重山諸島の“石垣島”から“竹富島”
宮古島諸島へ移り“宮古島”に“来間島(くりまじま)”それに“池間島”

と、沖縄本島を除き、全七島を渡ったのだよ。

これで、我の島巡礼の記録が一気に増えた。

島はイイ。

何がイイって、迷ってもたどり着くのは“海”ですから。

まぁ、なんつーても日本そのものが島だからね。

ちなみに、過去の島巡礼は…

広島の“宮島”に日本一大きい“淡路島”
瀬戸内海は“小豆島”にカフェまるやの“直島”
九州は“屋久島”にて縄文杉と出会い“壱岐島”で麦焼酎に呑まれる。
“奄美大島”にて黒糖焼酎“隠岐島”ではコギャルに拉致された。

近いところでは“初島”
“江ノ島”は“島”か?

海外では“バリ島”にイタリアの“サルディーニャ島”
次は“シシリー島”へ必ず行くぜ!

島好きです。

だから我の店、下北沢屋上屋台“Lotus cafe”には、島々の酒があるわけです。

島は日本の縮図だ。
あっ、那覇の月光荘にグラサン忘れた!

“シマ(島)った!”

失礼シマした。

さらば沖縄。

20081027132450
沖縄のWISE GUY“ショウタ”

さーっ、終わったぜ!

最後の那覇“生活の柄”ライヴが一番インパクトあったかもしれない。

連日、酒と叫びの日々。

我ながら喉が良く鳴ったなぁ、と思う。

面白い出会いは進学塾の講師。

打ち上げで酔い出しかと思うと三線を取り出し「優さんに捧げたいっ」と唸って即興歌い出した。

これが実に小気味よい。

沖縄の底力と言おうか、違和感なく音楽が根付いてる。

今度は受験で岩のようにガチガチになった塾生の脳みそ溶かす“塾ライヴ”をやろうじゃないか!

会場の“生活の柄”も雰囲気抜群。

下北沢駅前マーケットの原点を彷彿させる存在感で、居心地のイイ空間だ。

さて、なによりもこの旅を取り仕切ってくれた“ショウタ”に感謝せねばなるまい。

繊細にしてダイナミックな男よ。

改めて礼をのべたい。

得難い経験と出会いをもたらしてくれた。

次なる沖縄に繋がる一歩を踏み込めたハズだ。

これで本当の“少年院・児童自立支援施設ツアー/狂い咲きの詩2008”を完結する事が出来た。

事実は、11月8日のテレビ東京ドキュメントで総括されるだろう。

また新たなる旅に向かって…

ZUMI!

タンディガタンディ

20081026175045
宮古島、パウダーサンド(細かい砂)の砂山ビーチ。

しかし、噂には聞いていたが他の島々とは海の色が違う!

宮古島の海はまさに奇跡だ。

宮古島滞在一泊二日の間に2つの離島に渡った。

“来間島(くりまじま)”と“池間島(いけまじま)”

どこを訪れても実に神秘の海を持つ。

ガイドはライヴバー“雅歌小屋”のマスター“伊良部”さんが車を出して案内してくれた。

で、ライヴだが…

喉は相当にイカれてるけど、構うもんか。

オーバーヒートのフルスロットル!

ZUMI!(最高)

昔から俺のことを知っている宮ビリーもいたし、ソロCDも購入済みと言うし、少なからず下地は出来てるじゃん。

あとは生でしょ!

生ライヴ見せて、和気優体験するしかないでしょ!

宮古島はロックアイランドだぜ。

負けないぜ!

会場の“雅歌小屋”
イイ空間です。

何しろマスターの“伊良部”先生、インパクトあります。

魂、感じる。

ライヴ後の名物“オトーリ”を覚悟していたが、あっさりなくハンバーグ食ってホテルへ戻りました。

朝目覚めたらホテルからの出待ちがあったのには驚いたが…

ひと言、言わせてもらうなら…

俺、宮古島好きっ!

タンディガタンディ!(ありがとう)

今日は沖縄ツアーファイナルのステージ“生活の柄”

どんな“柄”か?

燃え尽きるぜ!

ココロの石垣島よ。

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石垣は美崎町の“メガヒットパラダイス”には静かだが、確かな人々のココロがありました。

まず、オーガナイズ“ショウタ”が初めてステージに立ち歌ってくれた。

わずか3曲のステージだったが、その姿は嬉しさと初々しさに満ちている。

まだ本調子ではないにしろ、実力派の底力と、何より優しさがあった。

集まった“ショウタ”の仲間たちも、彼の歌う姿に拍手を惜しみない。

俺の方は…さすがに飲み疲れが出始めたか!?声とスタミナに黄色シグナルが点滅。

チクショーと生唾飲み込んで、どうにでもなれっ!と、いつものフルマラソンライヴステージ。

終盤にようやくテンポ感を戻し1時間半のライヴを完走。

飲み過ぎ注意!

いや無理でしょっ!
ガッツリ飲みました。

打ち上げで少年院の話をしていると、隣に座ったショウタの仲間が俺に打ち明けた。

「子供ってどんな目にあわされても、ヤッパリ親を求めてきますよね…」

つまり彼は、思わず子供に逆上してしまう事があるのだけれど、それでも愛を求めるケナゲな我が子の姿にココロを痛めていると、涙をいっぱいにためて話してくれた。

言えるのは、その痛むココロと気持ちがあるだけで、まずは上々ではないか…と思う。

だってそこには愛情があるワケだし、何より子供の側に居てあげられるんだから。

不幸なのは、愛がいくらあっても親子が離ればなれになってしまう状況じゃないか。

自信を持って欲しい。

しかし、それを話してくれた事が嬉しかった。

ありがとう。

“メガヒットパラダイス”を出て地元ならではのおでん屋でまた一杯。

ホテルへ戻ろうとすると、たまたまライヴに来た西表島の若干18歳のパテシエ志望の青年が、泊まる場所がないと言うので、ホテルに入れてやった。

仲良く同じベッドで。

即寝。

朝を迎え、次なる聖地“宮古島”に飛行機で飛んだ。

今夜は宮古島“雅歌小屋”ライヴ。

すげー夜になるよ。

オトーリ、オトーリ!

逃げられないぜ。

受けて立つ!

ズミっ!

石垣島へ。

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飛行機から見た石垣本島。

見よ!JALのキャンペーンポスターのような景観を。

沖縄ツアー第3ステージ“石垣島”

天気…絶好調で~す!

まずは八重山毎日新聞にて取材を受け、束の間のヴァケイション“竹富島”へフェリーで渡ります。
この旅、すでに6島を巡ってるわけで、目まぐるしい離島ツアーと化している。
竹富島でしばしくつろいだあと、夜は“メガヒットパラダイス”なる店でライヴステージ。

今日はオーガナイズの“ショウタ”も歌ってくれると言う事で、ヒジョーに楽しみなのだ!

夜の石垣、その子細はビギンのハンチングをかぶって待て。

爺ちゃんの久高島。

20081023192206
コザナイトの余韻と酒を残しつつ、一路久高島へと向かう。

神と祈りの島である。

“日の本”つまり“日本”の始まりとも言われる聖島なのだ。

フェリーで島に着くと神職でガイドしてくれる“真栄田(まえだ)”さんが待っていてくれた。

ここからが不思議の始まりである。

島から空へと真っ直ぐに伸びる白い砂道とアダンの森。

信じられないほどの空と島のコントラスト…

?どこかで見たことがある。

一体いつの事か?

遠い、遠い記憶の底から湧きだしてくるこの切ない気持ちはなんだろうか?

道の果て、島の先端の岩から鮮やかな海を眺めたとき、ぼんやりと気が付いた。

そして真栄田さんがふいに「ほら、珍しいわよ“おうごまだら蝶”」

しばらく歩いているとまた「あら、また“おうごまだら”が和気さんを歓迎してるわ」

俺の周りを羽ばたくその美しい蝶は、よく見ると片羽で飛んでいる。

その時、判った。

爺ちゃんだ。

沖縄で戦死した爺ちゃんが蝶の姿を借りて来てくれたのだ。

片羽なのは、戦争で傷ついたからだ。

そして、ずっと見たことがある、来たことがあると言う不思議なデジャヴは、爺ちゃんがこの島に兵隊で来たのだ。

その爺ちゃんがみた空と海とアダンの砂道を、俺は見ているのだ。

爺ちゃん…

やっと逢えたね。

そう言う事だったんだね。

この久高の祈りは、波動となり、空を渡り、俺を連れてきてくれたのだ。

探していた大切な記憶の一枚と遂に巡り会うことができた。

爺ちゃん、俺は元気だよ…

ブラヴォーコザナイト!

20081023084056
嘉手納“安保の丘”よりエアホース“嘉手納基地”

コザナイト明け。

いや~スゲかった~。

またまたオーガナイズ“ショウタ”の呼びかけに、様々な人々が来てくれた。

その一人“永井龍雲”さん。

知る人ぞ知るフォークの大御所である。
打ち上げにも参加してくれて、実に謙虚だが的確な視線で評価してくれた。

そして対バンならぬ“タイマン”の“内間満”氏

俺と同じハンパ世代の魂を揺らす、ガツガツの歌を聴かせてくれた。

他、周辺のミュージシャンだけでなく獣医にバーマスター等々、超個性派の集会となった。

ライヴパフォーマンスにも気合いが入らぬワケがない。

初日の那覇ステージからは楽曲のセットをガラリと変えて、新鮮なプログラムで挑んだ。

と言っても、もともと曲順など考えてはいないが(場の空気感でセットを変える)

ボボボッと燃焼したっス。

打ち上げ後、ゲート通りの風変わりなバーで飲み、宿のゲストハウス“ごーやー荘”で撃沈。

明けて本日は神の孤島“久高島”へ渡るのだ。

酒残ってる~アタマギャンギャンいってるぜ!

まだまだ続くよ沖縄ツアー。

阿嘉島の朝

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オハヨー。

完璧な朝の阿嘉島です。

昨夜は満天の星空を翔る尾をひく流れ星を観た。

神秘的な夜だった。
珊瑚の浜で寝そべっていると、耳元でゴソゴソと音がする。
携帯の灯りを照らしてみると無数のヤドカリがウジャウジャと…

しばらくすると浜を二つの影が動いている。

目を凝らして見ると鹿だ。

慶良間に生息する慶良間鹿。

やたら海辺で星を観てたら身体が冷えてグッタリしてしまった。

そんな俺に、島の朝は“まだ夏は終わりぬ”とばかり、陽射しと蝉の声シャワー。

コレより、フェリーで那覇に戻り一路米軍ゲートの街“コザ”へ向かう。

死の美ら海よ。

20081021170221
見よ!

この美ら海を。

慶良間の阿嘉島でシュノーケルを楽しんだ。

しかし、あの奇跡の珊瑚礁は壊滅的状況だった。

悲しい。

わずか3年前に観たあの奇跡が軌跡になってしまった。

しかし、微かに残った礁を見つけては、魚たちにゴメンナサイを言った。

北極の氷は溶け、ロシアは温暖化の温床を受け油田を掘りまくり、珊瑚礁は壊滅、ヒマラヤの氷河は消えてゆく。

富士山は近い将来、緑の山と化すらしい。

それでも人間は地球に穴を空け、二酸化炭素の膜を貼り、海から酸素を奪う。

今日が現実なのだ。

俺は観た。

ちっとも楽しくなくなったわい。

こりゃあマジ終わるかもよ。

珊瑚の残骸をつつく熱帯魚たちが切なく悲しい。

パラダイスナイト!

20081021113946
慶良間諸島は阿嘉島行きのフェリーざんす。

今日は完全ヴァケイションざんす。

夕べは沖縄の“ジョニー宜野湾”氏含め、大御所たちが顔を揃えてたいへん貴重なライヴとなりました。

場所はパラダイス通り“Favorit Cafe”

まさにパラダイスな夜。

集まってくれたみなみなはミュージシャンとして一流であるからして、小手先の音では通用しまい。

ならばと、開き直って、吠えて吠えて吠えまくったのだ!

それにしてもオーガナイズの“ショウタ”は良くやってくれるし、みな温かに俺を迎えてくれた。

有り難すぎる。

これからの沖縄ツアーを予見する出発としては最高、出会いの初陣となりました。

ライヴ後は那覇のダイハードマスター(見たら判る)のバーにて打ち上げ、宿のゲストハウス“月光荘”に戻ったのは朝方。

ほぼ2日間寝てまへん。

完全熟睡の慶良間行きです。

“マリリン”に逢いに行ってくるサー!

帰ってきたぜ!

20081020120731
眠っ。

那覇到着。

暑いねー。

いよいよ沖縄離島ツアー開始だ!

少年院・児童自立支援施設ツアー
“狂い咲きの詩2008”が、5月に沖縄から始まって約半年。
帰ってきました。

今日は那覇のゲストハウス“月光荘”に宿を取り、夜はパラダイス通りの“Fevorit cafe”でライヴです。

オーガナイズしてくれる“ショウタ”が空港から迎えにきてくれて、準備万端。

快晴の“ある晴れた沖縄の空の下”

弾き叫びます!

ヤンキー先生!

20081019163742
下北沢の黎明。

酔って、高いビルの屋上に上り詰めて眺めた。

この黎明のように、希望を燃やし続けたい!

またまた、空田(くうでん・我々の有機栽培水田)のある流山に来た。

“少年院卒院生雇用への道”続編。

その流山で“ヤンキー先生”の講演会があると言うので
「よし!これも何かの縁、直談判に打って出よう!」
と出掛けた。

“ヤンキー先生”は議員である。

その立場で聴いていただきたい事がある!

会場は流山の“小山小学校”体育館。

まず会場受付で…

「和気優と申す、非行少年の雇用を考えているのだが云々…」

と、まくし立てたが(実際にはもっと丁寧です)一切受け付けられませんでした。

受付のクセに受け付けられないとはこれ如何に。

ま、立場上当然と思い大人しく講演を聴く。

確かにステキな事おっしゃってる。

“食”の話や彼の本題である教育論には共感する点が多い。

しかし、こっちは理論ではなく現場だ!とにかく、社会復帰を望む少年・少女たちの雇用の場を作らなければ。

講演が終わり、再度スタッフに訴えた。

1分でもイイ!話を聞いてくれ。

熱意に押されたか、スタッフが動いてくれた。

しかし、ヤンキー先生は今ちょうど車で出てしまった…と言う。

チラッと外を見るとヤンキー先生の乗った車が門を出ようとしていた。

クソっ!

走った!

“太陽に吠えろ”ばりに、車追いかけた!

ーッくわぁー!!

ジムで鍛えていても、エンジンにはかなわんかった…

あっけなく俺の視界から車は消えていった。

縁がなかったか!?

しかし、彼の話を聴けて良かった。

是非、会って話を聴いてもらいたい!

そう感じた。

明日からは沖縄ツアーだ!

ココロ新たに、黎明の島へと旅立とう。

“ぼおじぼ”

20081018162316
“空田(くうでん)”の稲穂。

改めて、空田とは我々が育てている有機無農薬米の田んぼの事です。

今日はこの稲穂にまつわる話を…

10歳まで、親父やお袋と離れて預けられていた爺さん婆さんの家。

場所は栃木県氏家町(現さくら市)

この家のことは以前にも説明しているので説明は省くが、その氏家は“押上”なる地域。

そこには不思議な習わしが存在する。

今頃、田の刈り入れが終わり秋も深まる頃。

夜が更けると、農家ばかりの小さな集落の家々に子供たちが集まる。

それぞれ手には、刈り取った稲を棒状に結んだ束を持っている。

子供たちがグループを組むと、家々を周りながら玄関先で、その稲棒を地面に叩きつけながら歌う。

“♪ぼおじぼあたれ、ソバあたれ…”

しばらくすると家の者が玄関に現れ、子供たちにお菓子や小遣いを渡す。

子供たちは家から家へ一晩かけて渡り歩くのだ。

何かに似てませんか?

そう“ハロウィン”です!

超不思議。

しかし、この習わしは最近始まったわけではない。

江戸期からあるらしいのです。

子供たちはそりゃあ楽しみだよね。

俺も楽しみだった。

夜中に子供たちだけで廻るんだもの。

きっと今は出来ないし、やってないだろうな。

やってるとしても親同伴とか…

この時季、秋の干し草のような匂いが漂うと思い出す。

“ぼおじぼ”

走れ!空田列車

20081017192210
ラッシュアワーの地下鉄千代田線。

これ、別に通勤の為に乗っているワケではない。

“空田(我れらの田んぼ・千葉県)”に向かう電車なのだよ。

ん~。

にしても、まったくゴタゴタ続きだ。

店周りからの騒音苦情が警察騒ぎと化した。

俺の歌声がウルサいか!?

それは判るが。

下北沢は住宅が接近している地域ゆえ、いろいろ難しい事が多いのだ。

ちと逸れたが、話を戻そう。

実はこれから千葉の“空田”近く、流山の“天神庵(ツアーでライヴした所)”で百姓仲間の“イッシー”が大分の実家に帰るので、その送別会に向かう。

イッシーは年齢不詳。

見た目は永遠の青年みたいな、屈託のない笑顔と芸能人もビックリの白い歯が特徴。

我れらの田んぼを指導してくれている田んぼマスター“あち”さんの下で農業を学び、かれこれ6年の付き合いになる。

空田に行くと、イッシーの笑顔が見れる!
それが楽しみだったのに、残念だが仕方無い。

今日は大いに酔わせて帰ろう。

それにしても、満員の地下鉄で田んぼに通ってるのは、世界広しとは言え、俺たちくらいなもんだろう…

この路線を“空田列車(くうでんれっしゃ)”と名付けよう。

走れ!空田列車っ!!

周瑜よROCKを聴け…

20081016184714
深夜のゴミロード。

なんじゃこりゃ!?

次の日にはキレイに清掃されていた。

日本人とは、なんて“キチンとさん”なんでしょう。

あっ、それと夕べのブログ訂正を。

“讃岐うどん”の食べ方をワタクシ“たまたま”と申し上げておりましたが、正確には“かまたま”だそうです。

“たま”違いでした。

失礼。

さて今話題の“三国志”

以前、王道の劉備、覇道の曹操を語ったが今日は別キャラの話を。

映画“レッドクリフ”上映も近く、盛り上がっているが、和気にとって三国志登場人物の中で一番気になるのは誰でしょう?

それは“レッドクリフ”でも注目の“周瑜(しゅうゆ)”

彼は三国“魏(ぎ)/呉(ご)/蜀(しょく)”の内“孫権(そんけん)”率いる呉の天才軍師なのです。

しかし、その類い希なる知力も宿敵“蜀”の軍師“孔明”の陰に隠れ、常に苦汁を舐めせられる。

“赤壁の戦い(レッドクリフ)”で、大軍の曹操軍を追いやったものの“孔明”の脅威に脅かされ続ける。

若くして病死したと伝えられるが、死ぬ間際にも己の人生と“孔明”の存在に
「神はなぜ、同じ時代に我れ(周瑜)と孔明を生んだのか!?」
と憂いて死んでいった。

周瑜を語る上では君子(孫権)への忠義を忘れてはならない。

周瑜自身は孫権をも凌ぐ名家の出身であるにも関わらず、国を思い万民を思いあえて忠義を貫いた。

それは名将“関羽”の“劉備”への忠義心をも超越するものだ。

それだけではない。

周瑜はモテる!

事実、周瑜の妻は絶世の美女であり、あの“曹操”までをも虜にしてしまったのだ。

モテる男はイイ!

総括すると“周瑜”にはROCKを感じる!

キレる、モテる、早死にする。

まさにROCKだ。

さぁ、三国志の英雄たちにROCKを感じよう。

その美学と生き様にハンズアップ!

拳を振り上げろ!

下北ラジヲ

20081015234213
下北ラジヲ。

収録したっす。

インターネットラジヲだす。

第1、第3月曜日夜10時からの30分番組。

下記のアドレスにアクセスしてみて。

http://livecast.jp

パーソナリティは“和気優”と劇団☆新感線“吉田メタル”

下北沢の我が店“TIBET TIBET”もしくは“Lotus cafe”にて飲みながら収録。

ワイワイガヤガヤと営業中につき、かなり聴きづらい状況の中やってます。

ざっくばらんなトークと言うか、ほぼ世間話ですな。

ほとんど何も決めずの一発トークです。

出来れば生でやりたいんだけどね。

生で一発ね。

そうすると、ヤッパリ相手は女子がイイかな。

生と言えば…

丸亀ファミリーからいただいた“生讃岐うどん”

ウメがっだ~。

生卵入れて、たまたま?だっけ?

早速、店のメニューにも加えました。

えーえー“悪党”ですから。

うどんもバリエーション効くので、オモシロいな。

坦々麺風とかね。



腹減った。

近くなり、遠ざかり…

20081015011555
松山から飛行機もどりで下北沢タウンホールに直行した。

世田谷BBS会の会合に出席するためだ。

やっと、世田谷のBBS会の人たちと会えるのだ。

少年院卒院生雇用への道、続報である。

タウンホール10階には20人近くの学生が集まっていた。

ひとりひとりの名門校在学に、ちょっとビックリ。

2時間近く、BBS会の成り立ちや活動の結果報告、少年法の法律解釈説明などを経て和気の時間をいただきました。

和気優のプロフィールなどを皆に配り、掻い摘んで少年たちを雇用しようと考えていることの経緯を話した。

会長を含め、それぞれに理解してはもらったと思う。

しかし、具体的な話までは進展しなかった。

勿論、若い彼らにそれを求めるのはムリなのは解っている。

話していてモドカシクなってしまったが、熱意だけでも伝わったなら良しとしよう。

BBS会の歩み寄りに期待したい。

しかし、想像とは違ってみんな実に真剣で勉強熱心だった。

実際に少年・少女たちと立ち会って苦悩している報告を聞いたときは、胸に込み上げてくるモノがあった。

出会えて良かったと思う。

でも今、俺は近づいているのか?
それとも遠ざかっているのか?

霧の中をさまよっているようだ…
プロフィール

和気優

Author:和気優
バイクに跨りギターを背負って、日本中の少年院
を“生きろ!生きろ!”と弾き叫ぶ!

未だに、ガキの頃を思い返すと悔しくて涙が出る
便所にひとりで行くのが恐くてネショベン垂れた
親戚は冷たかった
毎日夕方、バスの停留所でずっと待った
誰でもいい、誰かが俺を迎えに来てくれる事を
親父よ、お袋よ、なぜだ?
どこからか流れてくるステレオの音
泣きながらその音を聴いてると、優しい気持ちになれた
いつからか、俺は大人と言う、つまらん時代を迎えた
そして10年前、中学時代の仲間が犯した殺人事件
俺は手探りで旅に出る
歌いながら、同じ様な目をした少年の所へ
その切っ掛けが与えてくれた答えを見つけるまで
走り続けるしかない

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