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自根

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世界の農民、フレンチのペイゾン(農民)と共に…

さて、最近聞く「農」の言葉が琴線に響くようになりましてな。

農の言葉

自根(じこん)、自家採種(じかさいしゅ)、時期野菜、そして自活、自立。

自家採種。
種の問題は世間でも取沙汰されているように、今や慣行農においての自家採種は皆無です。
植物は種を付けます、と言うより種(しゅ)の本能で種を残す事にエネルギーが働く事は皆も知っている通り。
その種を採種し土に戻すのが「自家採種」で、聞けば自然な道理だが、そうならない、循環しないのが現代農である。
種は買うもの。
買わないと品種を名乗れないしくみがある。
これをひと言では方付けられない複雑な歴史と洗脳とも言える事象がある。
ココはそれぞれ学んで欲しい。

そしてもうひとつが自根(じごん)
我々が何も考えずにいると、購入する、実のなる野菜(果菜類)はほとんどが接木(つぎき)育成の生鮮を買う事になる。
どう言う事か。
台木(根)と穂木(茎枝)を分けて接木する。
もしくは台木と穂木が違う品種で接木する事も多々ある。
接木によって病気を回避したり、安定した収穫品質を得られる?などあるが、さて…
接木によって本来の種の特性を失う危険は大いにある。
人間に例えて考えれば下半身と同体から上を繋ぐような手術が施されれば普通ではない、のが良く判るであろう。
例えが極端過ぎるかもしれないが、本来の特性を失った野菜には強く違和感を感じる。
接木のキュウリ等は透水性が悪く、塩が実に馴染み辛い。
臼杵の赤嶺さんから教えられたのは、自根のスイカは8年に一度しか実をつけない。
それが接木のスイカは毎年実を付けるのだから、それ自体に不気味さを感じる。
この感度は大林千茱萸さんの「100年ごはん」を通じて養ったものである。
目からウロコとはこの事なり。

最後に時期野菜。
時期には時期の菜をいただく、これ薬効なり。
薬要らず。
治癒力向上こそ万病予防。
冬に夏野菜を過剰にとってはなりません。
栄養士の方々にもこの辺りを意識していただきたいものです。

さぁ、ずいぶん長くなったが、言える事は「無理、無茶」をしない、させない。
その土地で採種された種を、季節ごとに、自らの根で育てる。
循環する。
それには極めて高度な感度とセンスが要求される、且つ「生活」が伸し掛かれば、そんな事は言っていられない。
生産性を上げ、出来る限り手間のかからない方法を選び、一気に買い取ってくれる先を重宝する。
当然だ、良く判る。
地中の微生物の事など考えていられない。
「本来」より色形を重要視する。
そうでなければ買い取ってもらえない。
アトピーやアレルギー、化学物質過敏症の人々の対応は病院の仕事。
万が一そうなっても保険があれば安心安全、と言うわけだ。

しかし何だろう?
身体が反応してしまう。
外食に感じる多く、これは「死んだ食べ物」だ、と感じてしまう。
農を通じて、心身の感度が高まっている。
五感、それ以外の直感が気付いてしまう。
ヤバいかもしれない。

もし、俗世に活き、自ら様々「違和感」を感じる事があったなら、素直に認めた方が良い。
そしてその感度を高める行業を嗜んでみると良い。
そこから感じる事が、今まで曇っていた人生の視界を開く糸口となるかもしれない。

俺はやっと、その入口に立つ事ができた。
間違いなかった。

農の言葉は経と同位なり。

農FUTURE
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プロフィール

和気優

Author:和気優
バイクに跨りギターを背負って、日本中の少年院
を“生きろ!生きろ!”と弾き叫ぶ!

未だに、ガキの頃を思い返すと悔しくて涙が出る
便所にひとりで行くのが恐くてネショベン垂れた
親戚は冷たかった
毎日夕方、バスの停留所でずっと待った
誰でもいい、誰かが俺を迎えに来てくれる事を
親父よ、お袋よ、なぜだ?
どこからか流れてくるステレオの音
泣きながらその音を聴いてると、優しい気持ちになれた
いつからか、俺は大人と言う、つまらん時代を迎えた
そして10年前、中学時代の仲間が犯した殺人事件
俺は手探りで旅に出る
歌いながら、同じ様な目をした少年の所へ
その切っ掛けが与えてくれた答えを見つけるまで
走り続けるしかない

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